こんにちわ。LUCKY1回生の窪田航です。
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夏のスタツアから、かれこれ1ヶ月半が経ちました。前とは少しモノの見方が変わったのかなぁとか思ったりして過ごす日々です。
さて、今回はLUCKYの一員としてこれから活動していくなかで、肝になってくるなと個人的に考えたことを書かせていただきます。
スタツアで現にネパールの子どもたち、先生、村の人々に会ったとき、LUCKYがしていることは、最終的にネパールの人々のためになるのだろうか、と一抹の不安感を覚えました。これは先輩方がやってこられたこと、今回で言えば給食費プロジェクトに対して疑問を呈しているわけでは全くありません。どういう状況、結果をもってして、「自分たちのやってきたことはネパールの人々、教育の役に立った」と言えるのか、と疑問に思ったからです。
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こんな話を聞いたことがあります。
とある日本の農機メーカーが東南アジアのある国に、農機を無償で提供した。それによって、よりたくさんの農作物を生産できるようになった。しかしその結果、貧しくなった。なぜか。
その国の農村の人々の多くは、元々は自給自足、物々交換をして生活をしていた。しかし、農機を得たことで、自分たちに必要な分より多くの作物を作れるようになり、作物を市場に出すようになった。すると、貨幣に基づく生活をするようになった。また、必要な人員が減り、農業をしない人は街に出稼ぎに行くようになった。
その結果なにが起こったか。景気が悪くなると、十分な収入が入ってこない。しかし作った作物は市場に出してしまったから、食べるものはない。出稼ぎに行った人も景気の悪化によって、十分な収入を得られない。よって、たくさんの人が困窮に陥った。
自分たちが良いと思ったもの、概念を違う場所に持ち込むと、それが悲劇の種になったりする。よくある話ですね。
で、なにを言いたいかですが、ボランティア活動も、結果的に支援先に不幸をもたらすリスクを少なからずもっている。だから、どういった支援をするのかは、よくよく考えないといけないということです。LUCKYの活動がより高度になっていくほど。
LUCKYの活動は、ネパールのこどもたちの人生を変える、そんな次元のことをしていると思います。だからこそ、ただ先生や村の人々のニーズに応えた支援をすれば良しとするのではなく、その支援がどんな結果をもたらし得るのか、思考力をフルに使って考えていく必要があると思うのです。
まぁ、実際のところ、やってみないとわからないという部分は大きいと思います。でも、支援のその先、結果を思考するかしないかで、支援の内容、進め方は大きく違ってくるのではないでしょうか。
ここまで読んでいただきありがとうございました!!
📷告知📷
明日明後日(11月2日3日)と、同志社大学京田辺キャンパスでクローバー祭があります!
LUCKYは、鶏皮餃子と焼きうどんを出店します!売り上げは全額、ネパールの教育支援のために当てられます。ぜひ来てくださいね!!
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